社会風刺ユーモアコラム〜ハブの卵〜

コラム☆美しい国へ(笑)☆

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 先週に引き続き、安倍新総理の脳内を探索し、その中身のなさを確かめ・・・いや、彼 の思想を詳細に検証しよう。
 ふー、あぶねえ、あぶねえ。危うく国家最重要機密漏洩罪で、国家公安委員会にひっとられるところだったぜ。

 さて、今日扱うのは、彼の著書のタイトルでもあり、彼の新内閣のキャッチフレーズでもあり、また、彼が”おじいちゃん”の次に良く使う言葉の話だ。その 悪く言えば、ワンパターンでいつも同じでマンネリ気味の、よく言えば、ワンパターンでいつも同じでマンネリ気味の言葉とは、もちろんあの”美しい国”の事 ですね。

 この言葉は、彼の著書が、総裁選がらみでメディアに大々的に取り上げてもらったため、急速に国民に浸透した。昨年、こんな言葉を使おうものなら、精神障 害者もしくは幼児性愛者として、にせ日系ペルー人と同じ独房に入れられたというのに、今では猫も杓子も、レンゲでさえも美しい国美しい国とわめいているの だ。
 ちなみに彼の本は、なんの文学的価値もなく、おまけに、ぼくがどうやって印税生活に入ろうかと悩み苦しんでいるときだというのに、なぜか10万部以上も 売れ、多額の印税が彼の懐に転がり込んだという。あーあ、いいよな有名人は。何書いても売れるんだから。いや、嫉妬ではありませんよ。あしからず。

 さて、美しい国という言葉が、国中を300キロ前後で駆け抜け、このままいけばおそらく政治的意図のおかげで流行語大賞にも選ばれそうだが、はたして美 しい国とは何をさすのか?そして、どれだけの人がこの言葉の意味を分かっているのだろうか?
 この意味を知ってる人は彼の70パーセントを超える支持率から考えるとかなり少ないだろう。実際、本誌で、作為の温床である、世論調査を敢行したとこ ろ、実に3パーセントの人が美しい国とはムツゴロウ王国のことを指していると思っていたのだ。(おまけに0.002パーセントの人は、何を勘違いしたのか 誰でも気軽にゲートボールができる国になると信じていた。)


 このような誰も中身を知らない状態で、語感のよさだけを頼りに、新首相に好き勝手やらせるのは、あまりに危険である。我々は、まずはじめに”美しい国” が何を指すのかを明らかにしなければならない。それこそが、我々の急務であり、最重要課題なのだ。それが分かった上で、彼のお父さんそっくりの顔を断罪し ていきましょう。


とりあえず、彼の美しい国を読み解く前に、一般的な美しいの定義を確認しておきましょう。一般的に、美しいという言葉は、以下のような状況下において使わ れる。

あるそれらしい雰囲気のバー。男が女にささやきかける。
「君は最高に美しい!その目、その鼻、その唇。すべてが美しすぎる。」
すると、すかさず女が返す。「あんた盲目じゃないの!!」

 また、それ以上にもっと広く一般的に使われるシチュエーションとしては、以下のときですね。つまり、ある男が鏡に映る自分の裸体に向かっていう。「君は 最高に美しい。」
これなら、大抵の方は、身におぼえがあって、理解しやすいかもしれないですね。あるある。

 これが、美しいである。ということは、この一般的な美しいで”美しい国へ”を読み解けば、美しい国とは、自分の顔(あるいは上腕二等筋)を沢山見れる国 ということになる。具体的にいえば、街中に鏡をおくとか、もしくは、総理の写真をいたるところにはるという策が考えられる。(しかし、それが美しい国であ るというのなら、すでに前任者は、自分の選挙ポスターを日本中に張り巡らせるという形で、それを成し遂げている。)


 しかし、それは本当に美しいのか?ぼくは断言してもいい。答えはノーだ。安倍のヌードポスターを見て、喜ぶのは、本人くらいなものだろう。(でも、 ちょっと見てみたいわね。)
 美というのは、これだから難しい。なにしろ、すべての人が共感しうる普遍的な美というのはブッシュの良心と同様、この世に存在しない。自分が美しいと 思ってるものは、単に本人の感情の話であり、それをすべての人類が美しいと思うわけではないのだ。
 しかし、人間というのは、恐ろしいもので、めいめい自分が思ってる美が、人類普遍の美だと考えてしまうわけですね。この辺は、まちいくカップルを見てい れば良く理解できる。

 つまり、我々は、自分とまったく美意識の違う人がいることを理解しなければいけない。信じられない話だが、政権与党の人々のように、乗客のいない新幹線 の線路や、誰も走らない高速道路、減反政策で荒れ果てた田畑、ふるさと共生基金で造られたでかいだけの公民館、コンクリートを流し込まれた街を美しいと思 う人々も本当にいるのだ。

 それを理解せずに、自分の考える美がすべてと、普遍化するというのは、たとえそれがモナリザの美の普遍化だとしても、危険な話だ。
 もし、安倍新首相が、どのような内容であれ、自分の思想を美しいと思い、それを国民に押し付けるというのであれば、それは、ナルシストのストーカーとな んら変わりはない。「俺は美しいのだから、俺を愛せ!」と女性を襲うようなものですね。

 とはいえ、安倍新総理は政治家一家の出身で、きっと庶民には信じられないほどの教育を受けていると予想されるし、おまけに一国の首相になるほどの人物で ある。そんな彼が、そんな犯罪者の真似事めいた事を行うとも、美は普遍化されるものではないというやぶ蚊にも分かるような当たり前のことが理解できないと も、にわかに信じがたいし、また、そんな総理の国に住む国民として、絶対にあってほしくない。

 では、それが違うとしたら、彼の美しい国とはいったい何なのだろうか?どう美しくするのか?また、何を行うのか?
またしても、ふりだしである。

そんな八方塞がりの時、王威駐日大使がぼくにささやきかけた。「ニーハオ!」
これで、ぼくはひらめいた。”美しい国へ”。この謎を解くカギは、皮肉にも彼が軽蔑してやまない中国にあったのだ。
 この言葉を、中国語にしてみよう。するとこうなる”美国化”。中国通の方ならすでにピンときただろう。中国共産党の回し者として、政府に届け出とくから 安心しなさい。

”美国化”。これのいったい何が問題なのか?じつは、美国とは中国語で他ならぬアメリカのことを指す言葉だ。つまり、安倍首相の”美しい国へ”とは、何の ことはない。単にアメリカ化を進めるという事ですね。

 アメリカ型ナショナリズムの導入、国旗への誓い、集団的自衛権、米軍再編、市場経済の加速、民営化、エネルギー主義。なるほど、これならしっくりくる し、話にも筋が通ってる。
ふー胸のつかえが取れた。一安心、一安心。

いや、これでは一安心などできない。

2006.10.07

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